福田ひかり: ピアノリサイタル バッハ・ツィクルス5 バッハ絢爛

January 7, 2009

リサイタル情報

最終回は,J.S.バッハ(1685-1750)が自身の作品の集大成を意識的に行ったライプツィヒ時代(1723-1750)の曲集群から抜粋した作品と,バッハの死後に編曲された数ある作品の中からケンプ,ブゾーニによるものをお送りいたします.

J. S. バッハ 《平均律クラヴィーア曲集》第2巻

第1巻(1722年完成)から20年余りを経て完成した.ケーテン時代(1717-23)を含む2,30年間に書きためられた作品を改訂,編纂したものと考えられる.そのため各曲の多様性の幅は第1巻以上に大きく,特に前奏曲においてその傾向が顕著である.ソナタ形式への接近が窺える反復記号を持つ2部分形式の曲が10曲(第1巻では1曲)に増え,後期バロックから前古典派の様式転換の経過も見られる.対するフーガは3声と4声のみだが,主題の個性が強くなり,展開手法もより自由かつ高度になっている.

第9番 ホ長調 BWV878
ケーテン時代の作品と考えられる.前奏曲は2部分形式で田園風の曲想がホ長調とよく合う.フーガの主題は《平均律》の先例であるフィッシャーの《アリアドネ・ムジカ》(1702)からとられ,ルネサンスの合唱曲のような「古様式」で書かれている.

第13番 嬰へ長調 BWV882より後期の作品.フランス序曲風の付点リズムを持つ前奏曲では,協奏曲に見られるリトルネロ形式が用いられている.導音のトリルで始まるフーガはホモフォニックな対位法とシンメトリックな構成を持ち,あらゆる意味で革新的である.

J. S. バッハ フランス風序曲 ロ短調 BWV831

「パルティータ」と呼ばれることもあるこの曲は《イタリア協奏曲》(BWV971) とともに『クラヴィーア練習曲集第2部』としてまとめられ1735年に出版された.《イタリア協奏曲》がヴィヴァルディを始めとするイタリア風の合奏協奏曲を鍵盤楽器で実現する試みだったのに対し,この曲は,フランスのオペラ作曲家リュリ(1632-1687)らが始めた管弦楽組曲を鍵盤上に移したもので,両者を対比させるというバッハの明確な意図が見てとれる.楽章配列に定型を持つ独奏鍵盤組曲とは異なり,フランス様式の管弦楽組曲の楽章配列は第1曲に緩—急—緩の構造を持つ「フランス序曲」が置かれる以外は特に決まりはない.この曲においてもリュリのオペラ風に始まる長大な序曲の後には,アルマンド以外の鍵盤組曲の定番舞曲やガヴォット,パスピエ,ブーレーといった当世風舞曲が自由に配置されている.また,《イタリア協奏曲》と同じく2段鍵盤を持つチェンバロでの演奏が想定されており,冒頭の序曲や終曲のエコーでは強弱の対比が協奏的に用いられ,合奏の妙技が繰り広げられる.

バッハ=ケンプ 《ピアノのための10の編曲》

ベートーヴェンの名演奏家として名高いドイツ人ピアニスト,ヴィルヘルム・ケンプ(1895-1991)による編曲.今回取り上げる3曲はブゾーニなど多くの作曲家が編曲しているが,ケンプの編曲は原曲により忠実であり,彼の深い教養とドイツ音楽の伝統に裏打ちされた楽曲把握力によって原曲の持つ精神性や崇高さが確実に汲み取られ真摯に表現されたものと思われる.そこには,ピアノという楽器を用いながらも常にその背後に原曲の弦楽器やオルガンの音色を響かせ,楽器の違いを超えて「音楽そのもの」をバッハと同じ態度で表したいというケンプの姿勢が見てとれるだろう.

来たれ,異教徒の救い主よ BWV659a
《18のコラール》(現在は《17のコラール》と呼ばれる)所収.通奏低音のようなバス上でコラール旋律自体が自由に装飾され,幻想曲と見紛うほどである.
いまぞその時(いざともに喜べ,愛する信者たちよ) BWV307/734
コラール前奏曲(BWV734)の元となったコラール(BWV307)が変奏曲の主題のように先に奏される.コラール前奏曲は,コラール旋律が内声に置かれ,その周りを8分音符で歩むバスと16分音符で華麗に駆けめぐるソプラノが取り囲む.
目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ BWV645
カンタータの中の1楽章をオルガン用に編曲した《シュープラー・コラール集》に収められている.バッハの数あるオルガン曲の中で特に有名.元となったカンタータは霊魂とキリストの喜ばしい婚姻へ至る情景を描いている.

バッハ=ブゾーニ シャコンヌ

作曲家,ピアニストとして活躍したフェルッチョ・ブゾーニ(1866-1924)による,《無伴奏ヴァイオリンパルティータ第2番》(BWV1004)第5曲の編曲.彼はバッハ作品を数多く編曲したが,編曲だけでなくバッハ作品の校訂・出版にも尽力した.シャコンヌは3拍子の荘重なテンポで4あるいは8小節の和声定型上に連続的に展開される変奏曲だが,この曲では冒頭8小節で提示される重厚な主題の和声定型が30数回反復される中で多彩な変奏が繰り広げられる.原曲のヴァイオリン1本に込められた激情をブゾーニは華麗な技巧とほとばしるパッションで余すところなく表現した.現代ではブゾーニのこうした編曲を原曲を歪曲するものとして批判的に見る向きもあるが,作曲家という立場から見たこの曲への思いが表れた結果と考えれば納得できるものである.


文: 福田ひかり

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