福田ひかり: ピアノリサイタル 続バッハ・ツィクルス3

January 14, 2013

リサイタル情報

J. S. バッハ (1685-1750) 《平均律クラヴィーア曲集》第1巻,第2巻

長男の教育用に書かれた《ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集》の中の11曲の前奏曲を母体として1722年に完成したのが《平均律クラヴィーア曲集》第1巻である.24すべての調による前奏曲とフーガのセットがハ長調,ハ短調,嬰ハ長調……という具合に半音階的に上行する形で配列されている.全調を用いる試みはバッハ以前にも例があるが,各調の性格や色彩を考慮し「熟練者達の特別な楽しみのために」真に芸術的な作品を完成させたのはバッハが最初だろう. 第1巻から20年余りを経て完成した第2巻は,ケーテン時代(1717-23)を含む2~30年間に書きためられた作品を改訂,編纂したものと考えられている.そのため各曲の多様性の幅は第1巻以上に大きく,特に前奏曲においては後期バロックから前古典派への様式転換の経過も見られる.フーガは3声と4声のみだが(第1巻では2~5声)主題の個性が強くなり,展開手法もより自由かつ高度になっている. 第2巻第16番 前奏曲は「ラルゴ」と指定され,付点リズムの動機が重厚な和音の中でゆったりと聞かれる.休符と同音反復を含む独特な主題のフーガは途中3度や6度の平行進行を交えながら自由に展開される. 第2巻第23番 前奏曲は通奏低音的なバスの上で音階的な旋律が駆けめぐる.声楽的な主題を持つフーガは賛美に満ちた響きでゆったりと進行する. 第1巻第10番 前奏曲の初稿は16分音符で動き続ける左手に右手の和音を添えた簡単なものだったが,これに繊細なソプラノ旋律を付け,また後半にプレスト部分を付けたし完成版とした.このプレストの動機に由来するフーガは曲集唯一の2声の曲である.

ショスタコーヴィチ (1906-1975) 《24の前奏曲とフーガ》作品87

1950年7月,ライプツィヒで開催されたバッハ没後200年祭にショスタコーヴィチはソ連代表団の団長として招かれた.その旅の途上で着想され,帰国後わずか4ヶ月で完成された曲集である.ショスタコーヴィチはもともと自分の技巧を完成させる為に多声的な習作を書こうと考えていたが,200年祭に出席し記念コンクールで優勝したタチアナ・ニコラーエワの演奏に刺激を受け,「バッハの《平均律》に類する,ポリフォニー形式による,明確な性格の内容を持つ芸術的作品の大規模なツィクルス」を書くに至った.初演はニコラーエワによって1952年12月に行われた. 第22番 前奏曲はスラーで結ばれた2つの音からなる旋律が和音の上でさまざまに揺れ動く,自由な練習曲スタイル.ロシア民謡風の主題によるフーガは3部分からなり,ゆったりとしたテンポで進行していく. 第11番 前奏曲は楽しいガボット風のリズムが一貫してpで奏される.対照的にフーガはきびきびとしたリズムを持つスケルツォ的性格の主題が力強く展開される. 第4番 前奏曲,フーガとも第3番の前奏曲の動機に由来する.前奏曲はたゆたうような内声の動きに乗せて歌謡的な旋律が静かに奏でられる.重くゆったりと始まるフーガは展開部以降で新たに第2主題を加えて速度を上げ,再現部で二重フーガとなり堂々と力強く終わる.

ベートーヴェン (1770-1827) ピアノソナタ第31番 変イ長調 作品110

ベートーヴェンのバッハ研究はボン時代の師ネーフェによって与えられた《平均律》に始まり,そこから彼はピアノ奏法の基礎と同時にフーガ書法を学び取ったと言われている.その成果は特に作品101に始まる一連の後期作品で結実している.第30番,第32番とともに大作《ミサ・ソレムニス》の創作の合間に作曲された第31番はなかでも叙情性の豊かな曲で,心の奥に深くしみ渡る内面性をたたえている. 第1楽章 ソナタ形式.きわめて穏やかな音調で始まる第1主題はやがて分散和音の流麗な流れに乗り,高音で美しく歌われる第2主題に到達する.展開部以降は巧みな転調を経て曲は穏やかなまま終わる. 第2楽章 三部形式.挿入的なスケルツォ. 第3楽章 アダージョと3声のフーガからなる複合二部形式.アダージョではこの曲の真髄ともいうべき「嘆きの歌」が苦悩に満ちて歌われるが,その苦悩の中から力強くフーガが立ち上がる.そして,再び息も絶え絶えに歌われる第2アリオーソですべてが朽ち果て息絶えてしまったかと思う次の瞬間,まるで天から降ってくるかのごとく最終フーガが現われ,再び力を取り戻し,高らかな響きを持って曲を終える.

J. S. バッハ (1685-1750) 半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV903

1719年,ケーテン宮廷はバッハの見立てでベルリンから大チェンバロを購入した.この楽器に刺激されて1720年頃に作曲し,その後1730年頃に改訂したと考えられている.大胆な半音階と異名同音による転調を基本に,トッカータとレチタティーヴォからなる幻想曲と,枠にとらわれず自由に展開する3声フーガで構成されている.バッハの最初の伝記作者フォルケルは「このひときわ技巧的な作品は,きれいに弾きさえすればどんな教養のない聴き手にも感銘を与える」とこの異彩を放つ作品の魅力を端的に表したが,大胆な構想と豪華絢爛な響きの奥に潜む熱いパトスこそこの作品の最大の魅力であろう.


文: 福田ひかり

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